「自分のために争いが起こるのは気分が良い」って悪役でも中々言わないセリフのような・・・
街にはチェンソーマンを”嫌いな人”であふれていました。
・・・良い子かどうかは審議が必要だとして・・・
彼らのプラカードを見ていると、チェンソーマンを人間だと認めたくない人が多いような。
悪魔を憎む人、悪魔を”差別”する人が人間側のヒーローとして存在しているチェンソーマンを認めたくないと主張している。彼らはチェンソーマンと自分たちは違うという理由で憎みます。
一方、チェンソーマンが大好きなチェンソーマン教会の信者もいます。
圧倒的な力で悪魔を蹂躙してくれるチェンソーマンを尊敬し、陶酔し、好奇する。社会に対する反発を持ちやすい若者を中心にチェンソーマンの人気はうなぎのぼり。彼らはチェンソーマンと自分たちは違うという理由で好きになります。
チェンソーマンは自分たちとは”違う”という根本は同じ点から、好きと嫌いで別れ殴り合う民衆。自分を理由に争ってる人たちを見たデンジの感想は
・・・思ってても、そういうことを主人公が口にしないで!?
およそ少年漫画の主人公から発せられたと思えない身勝手な言葉。
私はデンジに嫌悪感と同時に・・・共感もしてしまいました。
自分のために争いが起こるということは、自分がそれだけ大きな存在だということ。自分が彼らよりも上の存在であるとマウントを取れるということ。これだけ自己肯定できる事象もなかなかないかもしれないです。醜い自己肯定ですが。
普通の人が無意識に心の中で思うことすら避けそうになる醜い感情を、素直に口にしてしまえる主人公。
流石、デンジ! 流石、チェンソーマン!
公安としては悪魔の対応で大変なのに人間同士の争いなんて面倒くさいことに関わっていられない!
と吉田が思っているかは分かりませんが、少なくとも傍から見てる分にはかなり面倒くさそうですね。
騒動をこれ以上大きくしないために
これが普通のヒーローに対しての言葉なのであれば、「じゃあ、敵は誰が倒してくれるんだよ!」となりますが、相手はチェンソーマン。何かの組織の正義に準ずるわけではなく、あくまで自分の価値観で行動をする”ヒーロー”です。しかも、その価値観は大分幼くて偏ってるため、必ずしも敵をちゃんと倒してくれるかは不明。・・・相手が奇麗なお姉さんだったら、むしろ懐柔されそうだし。
加えて、人間同士で争うきっかけになるのだとしたら、そりゃあまあ公安としてはチェンソーマンになってくれない方がありがたいですよね。
チェンソーマンになるならナユタちゃんは公安が殺す。
ヒーローになりたいなら普通の生活はできない。普通の生活がしたいならヒーローは諦めろ。その二択を迫られたデンジは
・・・いやだから、どっちかしか選べないんだって。
ダメだ、この主人公(再確認)
自らの正体を隠すヒーローもので、プライベートかヒーローかの2択に悩むのはお決まりの展開です。昔のスパイダーマンにもそんな展開あった気がしますね。バットマンにもあったような。大抵は正義感だとか使命感だとかでヒーローを選ぶことになるんですが、
デンジの場合はチヤホヤされたいから、チェンソーマンになることを諦められません。たとえ、周りが争おうが。というか、そっちの方がデンジの醜い欲望は満たされます。
・・・それでいいのか、ヒーロー。
ヒーローと普通の生活。どちらかを捨てなきゃいけないのは真面目な人間だけ。欲望に忠実な人間は二つとも追いかけるんだぜ!と今回の話は主張しているような気がしました。
・・・そんなヒーロー、やだなあ(率直な感想)
ということで、今回はここまで!
とりあえず、吉田が可哀想。
世の中の平和のために、公安として真面目に仕事して、しかも何だかんだで人質は無事に返すつもりだったのに・・・デンジの身勝手なわがままに全部台無しにされてしまいました。
正直、読んでてデンジのあまりにも自分勝手な主張に辟易してしまった部分もあるのですが、それでもこれがデンジであり、チェンソーマンだよなあと思いもします。
・・・前回、少しはデンジも大人になったのかなあと思ってた自分に笑っちゃいますね・・・はははは
彼の自分の気持ちに正直すぎる行動に、果たして因果応報はあるのか? それとも、傷つきながらも突っ走ってしまうのか? その辺りは藤巻先生が”ヒーロー像”をどう思っているのかと深く関係してそうな気がするのでどうなるのか楽しみです!
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