ニュージーランドで期待のウマ娘 エラズリー。
こんなに人気だったのか・・・とちょっとびっくりするくらいに期待を掛けられてます。日本で言うオグリみたいな立ち位置だったんですかね?
私がこんなにびっくりしたのはやはり昨年のJCの印象があると思います。8着もそうですが、正直、レース中は印象に残ってないですね。腹筋が凄いバスケ上手なウマ娘の方がまだ印象に残ってるくらい。
レース後のエラズリーとゴールドシチーとのやり取りは鮮明に覚えてるんですけどね・・・あれは尊かった・・・
彼女の人気ぶりがよく分かるのがJCで負けた時の反応。最低でも掲示板には入ると思っていたニュージーランドの人々は絶望を分かりやすく顔で表現するほど落ち込んでいました。
彼らの絶望は私には理解できないほど大きかったんでしょう。JCが終わった直後だというのに、エラズリーを労わる言葉よりも先に”次のエラズリー”を求める言葉が先に出るんですから。
このことから、つよく感じたのはエラズリーがニュージーランドのウマ娘の象徴となっていたこと。
彼女が代表であり、希望であり、”絶対”だったということ。
だから、彼女が負けることはニュージーランドのウマ娘全体が否定されることになっていたのではないでしょうかか。だから、ニュージーランドが求めたのはエラズリーに代わるスターではなく、エラズリー2世。エラズリーは負けていない。ニュージーランドは負けていないということを証明した勝ったのかもしれませんね。
その空気全体がフォークインにも伝搬していたのか、彼女もエラズリーのようになることを目標にしていました。
フォークインも含めたニュージーランド全体の異様さに気づいていたのは他ならぬエラズリーだけだったのかもしれないですね。彼女は期待されているほど、自分が世界で通用しないことを気づいてたのかもしれないです。
あと、いつも鏡に向かって話しかけるフォークインの不安定さにも気づいてたのかもしれない。鏡の自分に向かって話しかけるという行為は、何となくですが自我が不安定な印象を与えました。
まあ、可愛いですが。
フォークインが自分というものを確立できていなかったと仮定すると、第二のエラズリーと呼ばれることにショックを受けていたのも分かりますね。他人からも自分を認められていないような気分になって、”自分”というものがより不安定になりそうですし。
今回のJCでフォークインがダメなら、ニュージーランドは二度とJCには挑戦しないという余計な重圧まで背負わされてしまったフォークイン。本当に余計だったと思う。何でわざわざフォークインを追い込むようなことを言うのか・・・。
ニュージーランドが注目しているのはフォークインなのか、それとも”ニュージーランドの期待に応える第二のエラズリー”なのか・・・
私のフォークインが壊れてしまう・・・
ということで、今回はここまで!
フォークインちゃんを抱きしめてあげたい・・・(変質者)
今回の回想でのフォークインは幼い印象でしたが、オグリと出会った時のフォークインはもっと大人びてしっかりしてたように感じます。第2のエラズリーと呼ばれて、自分の人格もエラズリーに近づいてしまったのかな? 元々不安定だった自我が周りの影響である方向に強引に押しこまれてしまうのは辛いでしょうね・・・。
外見通りの子供らしいフォークインが、強制的に大人になってしまうなんて・・・なんか興奮する(オイ)
それは半分冗談として、この流れだとフォークインが今回のJCで勝ったとしても、本人はずっと辛いままなんじゃなかろうか・・・。
・・・JCで、オグリとのレースで彼女が救われるような展開になると良いんですが・・・
それにしても・・・
1年前でも服の露出度は変わらないのかあー。
幼さとセクシーさが混在してて、私の情緒がおかしくなっちまう。
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