征くがいい。迷いながら、苦しみながら、胸を張って、君の道を。私は──少なくともその道行きだけは、心から祝福しよう
終末何してますか?シリーズ、ラストまであと2巻!!!
私が通称すかすかを読み始めたのは、2017年。すかすかでは、もはや滅びる運命の世界でその世界のために死ぬ運命の妖精クトリと、かつて世界のために死んだはずの青年ヴィレムとの恋が物語の中心であり、読んでてボロボロに泣いた記憶があります。
その続編であるすかもかでは、舞台がレグルエレという世界全体の話になり、受け継がれていく意思と世界の命運がストーリーの中心となりました。
誰も悪くないが、しかしそこに住む全員の責任で滅んでいく世界。憎むべき世界の敵というものが存在しない物語でどのように物語が完結していくのか。
浮遊大陸群を救う、最後の戦いが始まった。〈最後の獣〉の結界内に広がるのは、在りし日の地上を模した風景。散り散りになる妖精兵たち、ティアットの前にはエマと名乗る女性と、白いマントの少年が現れて――。
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レグル・エレの崩壊を防ぐため、2番浮遊島で捕らわれている神たちや大賢者スウォンを助けることを目的にティアット、コロン、パ二バル、アルミタ、ユーディアの5人の妖精が2番浮遊島に突入。そこに広がる世界はレグルエレができる前の、地上が滅びる前の世界でした。その世界は神やスウォンの記憶から作り出された夢であり、そこでは外伝で出てきたキャラクターも登場してきます。ある意味では幸福な世界を妖精たちは壊しながら、現実の世界を救おうとします。
神、賢者を救いだし、この世界を創造した”最後の獣”を容赦なく倒せば終了。しかし、パ二バルは”最後の獣”である「モートンシャイン」と名付けた少年に選択をさせてから倒そうとします。パ二バルと出会うまでの彼は何も知らない、分からない。だから、世界を、自分の望みを正しく理解したうえでレグルエレを救うために彼は死ぬのか、それともレグルエレを犠牲にして彼自身を生かすのかを自ら選択させようとします。
世界を亡ぼす選択肢を持っている、「モートンシャイン」の選択は―――
物語が最終盤になり、主人公が誰かというところを考えるようになりました。
すかすかの序盤はクトリとヴィレム。終盤はヴィレム。
すかもかの序盤、中盤はティアットとフェオドール。途中でヴィレム(?)が主人公になってたかな?
しかし、最終盤に来て、今は誰が主人公なのかなというところが気になりました。
主人公という定義自体がよく分からないですが、百科事典様によれば「ストーリーの中心となり物語を牽引していく登場人物」。
その定義を元に考えると、ヴィレムはもう主人公ではないです。彼の物語は終わっているし、今の物語の中心では無いです。
フェオドールはもういないし、物語の中心に一番近いのはティアットかもしれませんが、彼女は半ば見守る立場になってきて、積極的に物語を動かす人物からは外れている気がします。
そういう意味では、一番物語を動かせる存在はモートンシャインになるのかな?・・・でもラスボスが主人公っていうのも(笑)
レグル・エレという世界そのものの危機に対して立ち向かうスケールが大きい話になったことで、極端な話、レグルエレに住む全員が主人公のようになっている気がします。
物語の結末を左右するのが、モートンシャイン(最後の獣)の決断。結末は大きく分けて3つあると思います。
彼と共存をする”ハッピーエンド”か、彼が犠牲になる”ビターエンド”か、それとも彼と一緒に道連れになる”バッドエンド”か。この作品だと、どれもありそうで、そしてどれもなさそうでもあります。
・・・それだと何でもありじゃんという話ですが。
私的にはこの作品における完璧なハッピーエンドというものが、あまり思いつかないです。例え、最後の獣の脅威を取り去っても、レグルエレがいずれ崩壊するという問題は残りますし、全てがうまくいく、雑に言えばご都合展開も、この物語ではピンと来ないです。(受け付けないというよりは、ぴんと来ない。)
物語の結末がどうであれ、使い捨てとして見られていた妖精兵の彼女たちが、世界に認められ、普通に生きている現状が既にハッピーエンドなのかなとも思い始めています。
結局、最後まで憎むべき敵が現れなかったなー
倒さなければいけいない敵というものがいないことが、この作品のラストを予想しづらい要因の一つかなと思います。
誰かを倒せばハッピーエンドというわけにはいかないので。
一応、モートンシャインというラスボスが出てきましたが、彼を倒せば救われるのかというところも何か怪しくなってきました。
個人的に全く結末の予想がつきませんが、この作品に対してはどんな結末でも納得してしまうような気がします。
・・・コロンが頼りになる先輩になっていてジーンときたなあ。
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