たまに、「俺は絶対に間違ってない!」という大人を見るとイラっとすると同時に、ちょっと同情するようになってきた、今日この頃です。
教場0の1話をやっと見れました~。
面白かったですねえ。
もうちょっと堅い雰囲気の作品になるかと思いきや、割とポップで見やすかったです。
犯人を追いつめる決め手が「・・・それで犯人落ちる?」と思わなくもなかったですが、未熟な刑事を木村拓哉が演じる風間が厳しく、不器用に育ててる様が凄く面白かったです!
あと、やっぱり木村拓哉さんは格好いいなあ!!!
50ですよ、50。
周りの50歳と比べてみてくださいよ!(失礼)
個人的にこの奇麗な女優さんに会いたいとか、可愛いアイドルに会いたいとかいう欲求は一切ないのですが、一度でいいから木村拓哉さんには会ってみたいです!
こんな感じで、木村拓哉さんの大ファン(本物のファンの人には激怒されそうなにわかですが)である私ですが、家族と暮らしていた時には木村拓哉さんのことを嫌いでした。
私は反抗期という反抗期がなく、それでいて割と甘やかされて育ってきたという自覚があります。
小さいころに親戚から心配されるくらいには。
当時はよく分からなかったですが、今思うとぞっとしますね。親戚から心配されるって・・・
ただ、人間関係はギブ&テイク。親が甘やかして育てたということは、何かの見返りを求められます。
色々あったと思いますが、その一つは私が親の好みに似るように誘導されたことなのかなと。
TV世代で育った私は”リモコン争奪戦”という言葉をよく聞き、その意味がイマイチピンと来てませんでした。
なぜなら、家のテレビは基本的に親が見る番組を見ていたから。それだけなら別によくある話ですが、私はそのことに何の不満も持っていませんでした。親の好きなタレント、親の好きなスポーツ、親の好きなドラマ・・・「親が持つ価値観が正しい」と思い、親の好悪を素直に正しいものだと受け入れていいました。
その一つが「木村拓哉が嫌い」でした。私の両親も、姉も木村拓哉さんが苦手だったようで、その代わり草彅剛さんのことが好きでした。だから子供のころは草彅さんのドラマばっかり見ていた記憶がありますね。
そのこと自体は人の好みなので別にいいのですが、その好みを子供に強要していたように今となっては感じます。本人は多分、無意識で。
ということで、家族と一緒に暮らしていた時の私は「木村拓哉が嫌い」だったんですが、一人暮らししてからは「木村拓哉さん大好き!」に変わりました。
「くっ・・・SMAPがまだあったなら、ライブ行きたかった!!!」と思うくらいには。
・・・男性アイドルのライブを男が一人で行くのかというツッコミは置いといて・・・。
私は友達も少なかったので、家族という狭いコミュニティで価値観が構築されていった結果、”洗脳”のように尖った価値観を植え付けられていました。
当然ですが、当時の私にそんな意識はなく、一人暮らしをしてから気付きましたが・・・
何が言いたいかと言うと、別に意図的じゃなくても洗脳されてる(影響を受けてる)ことがある・・・自分のいる世界が変われば、自分の正しさなんて容易く変わってしまうものなんだろうな、ということです。
ちなみに、バカの壁で有名な養老孟司先生のこの言葉を思い出しました。
「お前の意識が正しいと言うけれど一日の30%くらい(眠っている時間)はおまえの意識はないじゃないか。正しいとしてもせいぜい70%くらいなんだよ」
この世に絶対に正しいことはない。
これから胸に刻んで生きていきたいですね・・・。
ちなみに、FF7のヒロインはエアリスです。異論は絶対に認めません。(オイ)
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