呪術廻戦 懐玉・玉折 第28話  感想 人から外れた存在になった五条は闇に堕ちることはできない?

呪術廻戦

五条が星教の信者たちを皆殺しにすることを提案し、夏油に止められた場面。

五条が最後に盤星教の信者たちを殺していたら、五条はどうなっていたのか。

夏油の代わりに彼が闇に堕ちたのか。それとも夏油と一緒に闇に堕ちたのか。

いろんな方の感想を見ると、この二つの意見を予想する声が多かったですが、私はどちらでもない気がします。

ここで信者たちを殺したとしても五条は何も変わらなかったんじゃないでしょうか。

「今の俺なら、多分何も感じない」

多分、この言葉の通りだったんだと思います。

そう思う理由は、五条がもはや人という存在を超越してしまい、倫理観が人とズレてしまったように感じるからです。

似てるなと思ったのは、今回五条と壮絶な殺し合いを繰り広げたパパ黒の人の命に対するスタンス。

何の罪もない理子ちゃんをあっさりと殺したことからも分かるように彼は人の命を重んじません。

丁重に扱うこともなければ、弄んで悦に浸ることもない。

必要があれば殺すし、必要が無ければ殺さない。

「自分も他人も尊ぶことない、そういう生き方を選んだんだろうが」

死に際のこのセリフが、パパ黒の「人」に対するスタンスを表しているように感じました。

彼は自分も他人も尊重しない。人というものを特別視しない。

人の尊厳というものに執着しないようにしてるんじゃないかと。

人に執着しないということは、そこには好意は勿論、悪意すらありません。

ギャンブル好きでお金のためなら何でもやるクズな男なのは間違いないですが、彼の最低な言動に比べて悪意というものが足りない気がするのも、そこが根本としてあるような気がします。

そんな人でありながら人を「軽く」扱うところが、パパ黒の強さであり、人から外れた存在のように見えた所以のように感じました。

だからこそ、五条という呪術界の頂点を屈服させたいという人の欲求に従ってしまったパパ黒は、それまでよりも弱く、そして人間臭く見えましたね。

さて、話がちょっとずれましたが、覚醒後の五条はベクトルが違うとはいえパパ黒と同じく人から外れた存在になったように見えます

なので、人の命に対しての執着も薄くなった。「俺は今、お前(理子ちゃん)のために怒ってない。誰も憎んじゃいない。」というセリフがそのことを端的に示してましたね。

信者を殺すかと提案した時も、怒りというよりは「その方が良い」となんとなく思ったからではないでしょうか。

負の感情にベクトルは向いていたとしてもそちらの方に思い切り突き進むほどの衝動はない。

闇落ちするほどの人間性が、覚醒後の五条には欠落しているような気がしました。

五条の声を担当している中村さんが一期の時に「五条は人の命に対して執着していない」とディレクションを受けたという話をちょっと思い出しましたね。

理子ちゃんが殺されたことに対する憎しみが湧いてこない自分に気づいた五条は、その時どう思ったのか・・・。

強くなるということは人間らしさから外れることと同じなのかもしれませんね・・・


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