開幕、グロイ呪霊が登場してきます。
・・・何これ?
なんの呪い?
そして、何の場面?
米国軍人に日本人がいたので詳しいいきさつ(呪いをエネルギーに変える実験のために呪術師を襲った)ことを聞きます。
日本人が日本を裏切ったことに対して「売国奴!」とキレる高羽。
・・・その言葉言いたかったんだね? まあ、気持ちは分かる・・・
伏黒たちは軍人を呪霊のえさにして、呪力を満たそうとしている思惑をすぐに察します。
まあ、虎杖はそういうよね。
しかし・・・
天使はすでにここ(東京第一結界)は呪力で満たされているため、意味がないと提言。
華ちゃんをリスクにさらすということは自分もリスクにさらされるということ。
意味のない戦いをするなと言います。
・・・華ちゃんのためじゃなくて、あくまで自分のためなのね・・・
嘘をつかないというべきか、ドライというべきか・・・。
・・・?
虎杖にしては言葉にとげがあるような・・・
案の定、華ちゃんが「不愉快」という言葉と顔を示しました。
こわっ・・・
場面は変わって、呪いが米国軍人を餌に使って呪の釣りをしていました。
うっ・・・マジでは吐きそう・・・
餌にされかけている軍人は「こんな覚悟はできていない」と弱音を・・・
そりゃ、そんな弱音も吐きたくなりますよね・・・この状況は。
また、場面が変わって・・・場面転換多いな!今回!
冒頭の呪いに養われた(?)女の子のモノローグかな・・・?
結構な子供たちの被害者が良そうです。
・・・この国、呪いによる悲惨な事件多いんじゃないか・・・
その女の子を助けたのは伏黒と今は亡き玉犬(白)
くそ・・・玉犬可愛いなあ・・・。
監督役として五条もいましたね。お前、何年ぶりだよ・・・。
そして助けられた女の子は華ちゃん・・・え、華ちゃんだったの!?(鈍い奴)
華ちゃんは先ほど釣りの餌にされそうになった米国軍人を助けます。
このシーン、「アダムの創造」のオマージュですね。
『アダムの創造』(アダムのそうぞう、伊: Creazione di Adamo)は、ルネサンス盛期の芸術家ミケランジェロが、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井に描いたフレスコ画の一部。1511年ごろの作品で、旧約聖書の『創世記』に記された神が、最初の人類たるアダムに生命を吹き込む場面を表現しているとされている。
wikipedia
他にもいろんな作品にオマージュされているシーンのようです。
元ネタの説明を見ましたが・・・ここでの意味はあまりないのかな・・・?
絵では華ちゃんのところは天使じゃなくて、神らしいですし。
華ちゃんは伏黒に巡り合う運命を信じて、これからも伏黒の隣にふさわしい人間になるため人を助ける、と言います。
伏黒にふさわしい人間になるため人を助ける華ちゃんと、自分の良心に従って人を助ける伏黒かあ・・・
伏黒はあんまりうれしくないかもなあ・・・
さて、伏黒は虎杖がいつも以上に華ちゃんに冷たく当たった理由を尋ねます。
虎杖は・・・
・・・虎杖、君、たまにめっちゃ重い感情を吐き出すことあるよね・・・?
虎杖たちの前に戻ってきた華ちゃん。
「(ちゃんと軍人を助けた私に)何か言うことあるんじゃないですか?」
と挑発的な笑みを浮かべてきます。これでも私を信じられないっていうのか?って感じですね。
なんか可愛いな(笑)
そして、「最後のコマは俺!」をする高羽。
あだち充みたいなメタネタするんじゃねえ(笑)
ということで、今回はここまで!
虎杖の野薔薇ちゃんへの想いと華ちゃんの過去を一気に消化したことで、展開が早くて若干ついていけなくなっちゃいました。
芥見先生は、あまり余計なことを書きたくない作者のように感じますが・・・話をコンパクトに畳もうと急いでる感じも受けますね。
大好きな作品なので、個人的にはじっくり進んでほしいなあ・・・。
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