チェンソーマン 第153話 感想 チェンソーマンは人の味方なのか、敵なのか。

チェンソーマン

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人に害をなすウエポンズを蹴散らしたチェンソーマン。

すると、今度はその人から襲われました。

出典:「チェンソーマン」 藤本タツキ 集英社

その槍どっから持ってきたんだ?

まあ、それは良いとして・・・

デンジが「自分は人間の味方だ!」と主張しても周りの人間は網で拘束し、槍でつつき、燃やそうとします。本物のチェンソーマンだというこいつを殺すことで偽チェンソーマンになってしまった自分の大事な人が戻るのではないか。人によっては、そんな、全く確証のないことを言いながらデンジを襲う人も。

・・・何も知らない人がそう思ってもしょうがないか。実際の歴史にも、魔女裁判というよく分からない理屈で人を殺した事例もありますしね。

ナユタちゃんにも自分にも危害が及ぶ中、デンジも仕方なく抵抗。

それが襲っている人々をさらに過熱させるという悪循環。

ここでデンジが自分を襲ってくる人々に抵抗するのをある程度我慢しているところはちょっと意外でした。まだ理性残ってたんだなあ・・・。

もう誰も、この暴走を止められない状況の中、ナユタちゃんは支配の悪魔を使い、デンジを助けます。

出典:「チェンソーマン」 藤本タツキ 集英社

いいぞ~。もうこうなったら全員支配しちまえ!・・・できるんだっけ?そんなこと?

そんな感じで、予想通りといえば予想通りですが・・・さらに悪化してしまったデンジの状況。本人もチェンソーマンになった時点でこうなることにある程度は覚悟はあったと思いますが・・・多分。

助けてあげた人たちから逆に襲われるという、なんとも理不尽な展開が印象的な今回。個人的にはチェンソーマンの存在意義が改めて問われた回だったかな、と思いました。

今回のことで、デンジに一般市民を守るという建前の目的がなくなりました(元々そういう考えは薄かったですが。)ナユタちゃんには「チェンソーマンの自分とはいない方が良い」とデンジ自身が拒絶しています。

じゃあ、デンジは何のためにチェンソーマンになるのか?

ただ暴れたいだけ、自分の快楽のためなのか、他人のためというヒーローらしい欲求はチェンソーマンには要らないのか。チェンソーマンとは何なのか。

デンジとしても、作品としてもチェンソーマンは何なのか、という存在意義を改めて問われているように感じます。・・・気のせいかな。(自信なくなってきた人)

ということで、今回はここまで。

デンジ視点で見ると、助けてやったのに自分を襲う一般市民たちに怒りを覚えますが、もし自分があの場にいる一般市民だったらと思うと・・・やはりデンジを襲っていたでしょうね。

あのチェンソーマンパニックの状態で冷静な判断なんてできるわけがないです。なので、今回デンジを襲った一般市民を責めようとは思えないですね。

出典:「チェンソーマン」 藤本タツキ 集英社

だがナユタちゃんを突き飛ばした男、てめえはダメだ。

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