去年、新作ライトノベルとしては破格の売れ行きを示した「時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん」。
そのコミカライズが出ていると知ったとき、私の心は疑いでいっぱいでした。
あの学園内でトップアイドルのように扱われるアーリャ姫の容姿を描き切れるのか。
丁寧で、それでいて読者の心に深く刺さる心理描写を表現できるのか!?
できるはずがない! ハードルが高すぎる!
そう思いながら、怖いもの見たさに読んだコミカライズ版「時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん」
・・・ふっ。
参りました。
・・・完璧すぎない? むしろ完璧すぎてビビっちゃったんですが。
何で原作読んでる時の私の頭の中のアーリャ姫よりも可愛いの?
凄くない?
と、そんな完成度の高いコミカライズ11話の感想です。
「一人で頑張るしかない」への解決策
何事も全力で頑張る。
言葉としてはキレイですが、それをできる人は一握りしかいません。
子供は・・・というか、大人でも常にサボる道を探すのが多数派となります。
そして、多数派は人が多いからという事実から自分の考えを正当化します。
「こんな行事に一生懸命になるのはおかしい」
「あの人は真面目ぶってるだけだ」
・・・客観的に正しいはずのアーリャ姫が周りからは間違っているとみられるわけですから、それは周りを頼りたくなくなりますよね。
クラスメイトはさっさと帰ってしまった文化祭の準備を、一人で懸命に行うアーリャ姫。
寂しさと虚しさで涙が出そうなときに現れたのは
アーリャ姫が一番嫌いなタイプの何事にもやる気を出さない久世くん。
その久世君から「正論」を言われてしまいます。
一人で「全力」を貫いたところで意味がない。
ずっと背けていた事実を突きつけられてアーリャ姫は感情が爆発します。
少しも妥協したくない。それは私のわがままだって分かってる。
だから、周りに頼らず自分だけで頑張ってる。
それすらも否定されなければいけないのか、と。
「一人で頑張るものじゃなくて、みんなで作り上げるものだろ?」
グサッ
久世さん。
アーリャ姫と一緒に私の心も刺さないで?
そんなの理想論だというアーリャ姫に対して
合宿棟の使用許可を取ってきて、泊りがけでの作業を提案します。
具体的な案を出して、そのための準備までしていた久世君。
サラっと用意周到に準備できる男は格好いいなあ。
イベント感もあり、モチベーションアップ間違いなしというのも説得力がありますね。
まあ、私だったらモチベーション下がりますけども。
イベント大っ嫌いなので。(よく学生時代不登校にならなかったと思う私)
やはり仕事ができる男、久世。
分かってるんですよ・・・
周りを頼ったほうが良い仕事ができるってのは。
でも、コミュ障が周りを頼るのは難しいんですよ・・・
あ、私の話です。
アーリャ姫も周りに頼るのは苦手のようですし、外見が目立つ分、頼り方も難しんでしょうね。
それでも周りを頼る努力はしないといけないんでしょうけども・・・。
頑張っていることを認めてほしかった
アーリャ姫が一番空しかったのは努力してる自分を誰も認めてくれないことだったかもしれません。
自分は正しく努力してるはずなのに、誰も認めてくれない。それどころか間違っているという目さえ向けられる。
普通なら、そこで頑張るのを辞めてしまうはずですが、不幸なことにアーリャ姫は頑張ることを止められません。
走れば傷つくし褒美も出ないのに、それでも走り続けるアーリャ姫。
・・・心もボロボロになりますよね。
何より頑張っている自分を正しいと思えないことがきつかったかもしれないです。
だからこそ、久世君に自分は間違っているのかと聞いたように見えました。
そんなアーリャ姫に
こんなこと言ったら、そりゃあアーリャ姫も惚れますわ
ちくしょう、私もこういうことをさらっと言える男を目指さなければ・・・!!!
・・・無理だな!(一瞬で諦めた)
ということで、今回はここまで。
絵、構成、雰囲気・・・完璧だ!(雰囲気ってなんだ)
ヒロインが主人公に惚れるという一番大事な場面を見事にコミカライズしてくれましたね。
アーリャ姫が抱えている問題に対して答えを見せて、アーリャ姫の努力をちゃんと認めてあげた久世君にアーリャ姫がトキめくという場面が奇麗にまとまっていました。
本当にコミカライズとして完成度が高い作品!
第一巻は3/9発売とのことです!(宣伝)
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